2014年04月19日

読書日記478:ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 by塩野 七生



タイトル:ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉
作者:塩野 七生
出版元:新潮社
その他:

あらすじ----------------------------------------------
失政を重ね帝国に混乱をもたらしたネロが自死した翌年(紀元69年)、ローマには三人の皇帝が現れては消えた。ガルバ、オトー、そしてヴィテリウス。初代皇帝アウグストゥスの血統ではない彼らに帝国の命運が託されたが、傲岸、生硬、怠惰という各人の性格に由来する統治力のなさが露呈、いずれも短期間で破滅した。さらにその間、軍団同士が争う内戦状態に突入し、帝政始まって以来の危機的状況に陥る。果たしてローマ人はこれをいかに乗り越えたのか。


感想--------------------------------------------------
ローマ人の物語の二十一巻です。この巻から二十四巻までが「危機と克服」ということで、皇帝ネロの自死に伴う内乱期のローマ帝国の姿が描かれています。かつての繁栄はどこに、という感じです。

皇帝ネロの自死に伴い、ガルバ、オトー、ヴィテリウスの三人が次々と皇帝となり、次々と死んでいく様が本巻では描かれています。一年余りの間に三人もの皇帝が誕生し、ある者は殺され、ある者は自殺し、舞台から消えていきます。ローマ軍団同士が争い、首都ローマが戦場となり、外敵の侵入を許し、と散々な状況です。本巻を読む限り三人とも皇帝の器とは思えませんので、こうなるのも必定かとも感じます。

本巻の冒頭に書かれていますが、ローマは幾度となく危機を迎え、それを克服することで成長してきています。帝国末期はまた別ですが、この三人の皇帝が立った時代の後に「五賢帝」と呼ばれる五人の皇帝の時代が来るわけですから、あながちこの言葉も嘘とは言えません。

本巻で特に印象に残ったのは、軍に攻め込まれたローマの状況を表した箇所です。ローマで激しい戦闘が繰り広げられている横で、ローマ市民たちはその戦闘を見世物のように楽しみ、野次を飛ばし、通常と変わらない生活を送っていたそうです。本巻にも書かれていますが、「上の首がすげ変わるだけで下の暮らしは変わらない」という認識があったからのようです。こうした感覚は、今の我々にも共通するところがあるよなあ、なんて読みながら思いました。今の首相こそ長期政権になりつつありますが、一昔前は首相の首がコロコロと変わり、国民も愛想を尽かしていたあの状況ではないかと思います。

本巻の終盤では三人に続く皇帝としてヴェスパシアヌスが登場します。三人の皇帝と彼の違いは、用意周到さにある、と言ってもいいかと思います。皇帝として立つには何が必要か、それを確認し、ムキアヌスなどの仲間たちと着々と根回しを行い、皇帝の座に上り詰めていきます。

しかし今でこそムキアヌスやヴェスパシアヌスの用意周到さが称賛されますが、これはやはり「勝った者が称賛される」という普遍的な原理によるところが大きいとも感じました。逆にオトーやヴィテリウスが長期政権を築けていたら、称賛されていたのは彼らになるのでしょうし(まあ、失政を繰り返したから失敗したわけですが…)。

しかし、ヴィテリウス率いるローマ軍団に略奪された街などはたまったものではないですね…。同じローマ人に蹂躙されるわけだから、本当に悲劇です。歴史の表舞台には出てこないですが、時代は違えどこうして泣かざるを得ない人々が歴史の片隅には必ずいるのだということを覚えておく必要があるとも感じました。

総合評価(S・A・B・C・D・Eの6段階評価):


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2013年12月11日

読書日記454:ローマ人の物語〈20〉悪名高き皇帝たち(4)



タイトル:ローマ人の物語〈20〉悪名高き皇帝たち(4)
作者:塩野七生
出版元:新潮社
その他:

あらすじ----------------------------------------------
紀元54年、皇帝クラウディウスは妻アグリッピーナの野望の犠牲となり死亡。養子ネロがわずか16歳で皇帝となる。後に「国家の敵」と断罪される、ローマ帝国史上最も悪名高き皇帝の誕生だった。若く利発なネロを、当初は庶民のみならず元老院さえも歓迎するが、失政を重ねたネロは自滅への道を歩む。そしてアウグストゥスが創始した「ユリウス・クラウディウス朝」も終焉の時を迎える…。


感想--------------------------------------------------
「ローマ人の物語」の二十巻です。「悪名高き皇帝たち」と題した章のその四ということで第五代皇帝ネロの話です。このネロは有名ですね。著者曰くローマ皇帝の中で最も有名なのがこのネロだそうです。キリスト教を弾圧し、悪政を敷き、「暴君ネロ」とまで呼ばれるようになった皇帝ネロ。その姿に迫っていきます。

読んでいって思うのは、この暴君と呼ばれたネロ自身も、実は相当に弱い人間だったのではないか、ということです。母を殺し、妻を殺し、キリスト教徒たちを迫害し、自分達を支える軍の司令官達を冤罪で死に追いやり、と滅茶苦茶ですが、その根底には十代の若さで当時では世界最高の帝国の皇帝となってしまったこと、しかも実力ではなく母親の力でなってしまったこと、という弱さが理由としてあるようです。

自分を徹底的にコントロールしようとした母親の頚木から脱するために殺し、政略結婚による望まぬ相手との婚姻を解消するために妻をも殺したネロですが、母親を殺した時点で既にネロの精神は病んでいたのではないかと思います。

政治家としての手腕は決して悪くはなかったのに、自分の実力を誇示しようとする余り様々なパフォーマンスを繰り広げ、最終的には誰からも見放されて死ぬことになるネロ。…なんか会社とかにもこういった人はいそうです。問題なのはその人が国で最高の権力を持ってしまったことでしょうね。。。


歴史に親しむ日々を送っていて痛感するのは、勝者と敗者を決めるのはその人自体の資質の優劣ではなく、もっている資質をその人自体がいかに活用したかにかかっているという一事である。


本書からの抜粋の一文です。著者の洞察の鋭さが光る言葉です。つまりは「自分のことをいかに客観的に見つめられるか」ということに繋がってくる言葉かと思います。自分が何が得意でどのような性格なのか。他者の自分に対する認識と、自分自身の自分に対する認識はどのように違うのか。欠点や短所まで含めてこれらのことをしっかりと見つめられる人はそうはいないと思いますが、そういう人は非常に強いでしょうね。そして自己の強みを生かす生き方は何なのか、を考えることができると、本当に充実した人生が送れそうです。きっとカエサルやアウグストゥスはこのような生き方ができた人なんだと思います。

本書の後半では当時の「帝政」の仕組みが細かく述べられています。ここで感じるのは「帝政」とはいっても、著者が「デリケートなフィクション」と述べるように、本当に危ういバランスで保たれている政体だと言うことが良く分かります。たとえ皇帝であっても好き勝手をするとカリグラやネロのように簡単にその座を追われてしまうんですね。確かに一人に権力が集中していますが、その権力も全く安泰ではないことが分かります。実に絶妙な政体です。

さて次巻からは「危機と克服」ということで内乱状態に陥ったローマ帝国がどのように立ち直って行くのかが描かれてきます。次巻も楽しみですが、、、しかしカリグラ、クラウディウス、ネロ、と三代続けて暗殺やクーデターで殺されていますので、皇帝っていうのも大変だな、と感じます…。

総合評価(S・A・B・C・D・Eの6段階評価):


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2013年12月04日

読書日記452:ローマ人の物語〈19〉悪名高き皇帝たち(3) by塩野七生



タイトル:ローマ人の物語〈19〉悪名高き皇帝たち(3)
作者:塩野七生
出版元:新潮社
その他:

あらすじ----------------------------------------------
50歳まで歴史家として生きてきたクラウディウスは、突然のカリグラの死により、帝位を継承することになった。カリグラは、わずか4年の在位の間に、健全だった財政と外政をことごとく破綻させていた。クラウディウスはまず、地に落ちていた帝政への人々の信頼を回復することから始め、問題を着実に解決していく。しかしこのクラウディウスには“悪妻”という最大の弱点があった。


感想--------------------------------------------------
「ローマ人の物語」の十九巻です。「悪名高き皇帝たち」のその三と言うことでティベリウス、カリグラに続き、クラウディウスの話です。

カリグラの暗殺により、期せずして五十代で皇帝となったクラウディウス。肉体的にハンディを背負った皇帝は、それまでの人生の大半を「歴史の研究」に費やしており、その研究の成果を反映させることで、カリグラが滅茶苦茶にしたローマを建て直そうとします。この試みはうまく行くようですね。ローマの財政はなんとか持ち直して行くようです。


民を主権体とする政体とは政治の素人が政治のプロに評価を下すシステム、と言えないだろうか。となれば政治家にとっての死活問題は、政治の素人たちの支持を獲得することになる。


この言葉は本書の冒頭、カバーの金貨の紹介のページに書かれた言葉の要約ですが、この言葉には考えさせられます。今の日本だけでなく、世界中のほとんどの国でこのようなシステムを用いています。従って、支持されるのは「本当に素晴らしいプロの政治家」ではなくて、「政治の素人である民衆の支持を得られる政治家」なんですね。そしてクラウディウスは前者ではあっても、後者ではなかった、と言っています。ただ、今の日本のように数年ももたずしてころころと指導者が変わる国では、前者であることさえも凄く難しいと思います。そしてまた、どのような素晴らしい政治的意見を持っていても、実際に国(あるいは県や市)を運営した経験のある人とない人では、圧倒的な差が生まれるのだろうな、とも感じます。


敬意を払われることによって得られる実用面でのプラスアルファ、つまり波及効果の重要性が理解できないのである。ゆえに誠心誠意でやっていればわかってもらえる、と思い込んでしまう。


これはやはりクラウディウスを表わした言葉ですね。実務では優れていたけれども、市民や家人からは敬意を払われることがなく、軽んじられていた皇帝のようです。このあたりは一般人である私などには理解が難しく、「誠心誠意やっていればそれでいいんじゃないの?」なんて思ってしまいますが、人の上に立つ人間は周囲の人間に畏敬の念を抱かせ、敬意を払われる必要があるようです。そしてこのあたりがカエサルやアウグストゥスとの違いだったようですね。思うのですが、国を運営し人を動かすためには人に畏敬の念を抱かせる必要があり、そのためにはその後ろ盾となる権力が必要となります。「権力」というと負のイメージが強いですが、優れた為政者はこの「権力」を実に巧に、時に見せ球として、時に実行力として使っているように感じます。このあたりは日本の隣の大国の国家運営なんかを見ていると感じますね。「権力」が後ろにあると、人や国家を素早く動かすことができ、デメリットもありますが非常時など意思決定の迅速さが求められる場では効力を発揮しそうです。


さてクラウディウスを暗殺して次の皇位に自分の子でありクラウディウスの養子である、ネロをつけたのはクラウディウスの妃であるアグリッピーナでした…。凄まじい悪女ですね・・・。ネロの名前も有名ですね。次巻も楽しみです。


総合評価(S・A・B・C・D・Eの6段階評価):


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2013年10月30日

読書日記444:ローマ人の物語〈18〉悪名高き皇帝たち(2)  by塩野 七生



タイトル:ローマ人の物語〈18〉悪名高き皇帝たち(2)
作者:塩野 七生
出版元:新潮社
その他:

あらすじ----------------------------------------------
二代皇帝ティベリウスは、後もカプリからローマ帝国を統治し続け、皇帝としての職責を完璧に全うした。国体は盤石となり、それを受け継いだ幸運な皇帝が、カリグラだった。紀元37年、すべての人に歓迎されて登位した若き皇帝に、元老院は帝国統治の全権を与える。しかし「神になる」ことまでを望んだカリグラは愚政の限りを尽くすー。政治を知らぬ若者を待ち受けていたのは無残な最期だった。


感想--------------------------------------------------
ローマ人の物語の十八巻です。「悪名高き皇帝たち」の二巻目ということで本巻では第二代皇帝ティベリウスの続きと、第三代皇帝カリグラについて書かれています。

カリグラはともかく、ティベリウスは本書を読む限りは帝政ローマの基礎を頑健にしたよき皇帝のように思われます。(倹約をひたすら推し進めたため庶民の受けは最悪だったようですが、、、)

一方でカリグラは、映画になっていたりもするのでその名を聞いたことがある人はいるかもしれませんがまさに「悪帝」ですね。著者がいかに庇おうとも庶民に対して必要以上のパフォーマンスをするために贅の限りを尽くし、神となろうとしたのはやりすぎです。二十七歳という若さで側近に殺されてしまいますが、それもいた仕方ないことかと思われます。

本巻を読んでいると確かにローマの皇帝たちは絶大なる力を持っていますが、庶民への対応を間違えるとあっという間に身を滅ぼしてしまうのだと言うことが良く分かります。このあたりのバランス感覚がカリグラには大きく欠如していて、一方でカエサル、アウグストゥス、ティベリウスにはあったのだろうと思います。庶民の人気取りに奔走してばらまきを行い、、結果として国家財政を危機的状況に陥れ、その場しのぎの財政政策を繰り返し、最後には国民の心が離れ、殺されたカリグラ。まさに頂点から急降下の人生です。


テロ行為とは、文明が未熟だから起こるのではない。選挙による落選という手段を奪われているから、やむをえずテロに走るというのでもない。権力が一人に集中しており、その一人を殺せば政治が変わると思えるから起こるのである。


本文中からの引用です。現代の先進国を狙った「テロ」には必ずしも当てはまらない言葉かとは思いますが、テロについて考えさせられる言葉です。現代ではたとえ首相や大統領が暗殺されたとしても一時的に動揺こそすれ、国の母体がぐらつくということは、特に先進国では考えにくいことです。ただ、政治が指導者に大きく依存している発展途上国ではこのような目的のテロは起こりうるでしょうね。そして帝政ローマもまさにこのようなテロが起こりうる環境にあったようです。

本巻で特に魅力的に感じたのは、そのテロの実行犯であり、カリグラ暗殺の首謀者でもあるカシウス・ケレアについて書かれた文章です。カリグラの父、ゲルマニクスに仕え、カリグラの側近中の側近であったカシウスがなぜ暗殺に走ったのか−。著書によるその理由は想像の域を出ませんが、これまでの書き方やカシウスの経歴を見る限り、納得させられます。詳しくは読んでいただきたいのですが、こうした人間ドラマ的な描写をされる方だからこそ、このローマ人の物語は魅力的なのでしょうね。

次の巻はカリグラの後を継いだクラウディウス帝です。また次巻も楽しみです。

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2013年09月28日

読書日記438:ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) by塩野七生



タイトル:ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1)

作者:塩野 七生
出版元:新潮社
その他:

あらすじ----------------------------------------------
帝政を構築した初代皇帝アウグストゥス。その後に続いた、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの四皇帝は、庶民からは痛罵を浴び、タキトゥスをはじめとする史家からも手厳しく批判された。しかし彼らの治世下でも帝政は揺らぐことがなく、むしろローマは、秩序ある平和と繁栄を謳歌し続けた。「悪」と断罪された皇帝たちの統治の実態とは。そしてなぜ「ローマによる平和」は維持され続けたのか。



感想--------------------------------------------------
ローマ人の物語の文庫版、十七巻です。ここから章は「悪名高き皇帝たち」ということでローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの後を継いだ四人の皇帝、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの物語が展開されます。

この四人の皇帝は後世の歴史家や同時代の庶民から強い批判を浴びたそうです。ただ、著者の塩野七生さんはこの評価には懐疑的なようですね。本巻の最初にも書いてありますが、「悪帝と断罪されてきたけれどホント?」といった意味合いでこのタイトルもつけているそうです。

さて本巻は初代皇帝の後を継いだ二代目皇帝:ティベリウスの治世の話として幕を開けます。本巻から伝わってくるティベリウスという人の印象は、とにかく「カタブツ」という印象ですね。プライベートでは女には興味を持たず、政治面では娯楽を廃し、増税しない代わりに無駄なところには金を一切かけない。とにかくローマ帝国の土台を固めることにひたすらに注力した人、という印象ですね。

ここまでの約十巻にわたってカエサル、アウグストゥス、ティベリウスと三人の支配者の人生を読み続けてきましたが、とても印象的なのは、「まるで三人が三人とも己の役割をあらかじめ知っていたかのような人生を歩んでいる」ことですね。そして、三人ともそれぞれの役割に応じた能力を持っているということです。帝政への扉を開いた革新者である天才:カエサル、様々な制度を整備し、長く続くローマ帝国という道を作り上げたアウグストゥス、そして様々な制度を状況に応じて微調整してローマ帝国を堅固に仕上げたティベリウス。帝国を運営することの本質を三人とも正確に理解していたからこそ成り立った偉業だと思います。


どこをどう手直しすれば、システムを保持しつつその機能性も維持できるかを理解できる能力と、それを実行できる決断力が必要だ。


本書からの抜粋ですが、国をシステムとしてみたときに、その本質を理解することや、先人がどのような思い出システムを創り上げたかを考えることがどれだけ大切か、考えさせられる文章です。表面的な理解だけでなく、本質的な理論が非常に重要ということですね。日本はどうなのでしょうね。。。こうした点はむしろ今よりも情報も少なく技術も低かった過去の人々の方が、限られた選択肢しかなかった分、比較的考え易かったのかも、とも思います。

また、以前にも書き、これからもきっと何度も書くと思いますが、本作の面白さはやはり著者の主観がたぶんに入っているからなのでしょうね。例えば以下の文ですね。


歴代の皇帝の悪口を言うだけで済んでいた時代は、ローマ人にとって幸せな時代であったのだ。


この文も、本書の最初に書かれていた文ですね。まさにローマの滅亡時期を書いていた時期の著者のこの言葉には実感がこもっています。政治も経済も行き詰まり、まさに滅び行く状態の国では指導者の悪口を言うどころではないのでしょうね。まさに自分の身に危険が迫っている状態からすれば、体制がしっかりと維持され、指導者の悪口を言える状況はまだまだ幸せなのでしょう。しかしこの言葉は、今のどこかの国にも当てはまるかもしれませんね。。。

本章はあと三冊、全四冊です。あと三人の皇帝の話も楽しみです。


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posted by taka at 20:29| Comment(0) | TrackBack(1) | ローマ人の物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする