読書日記786:街とその不確かな壁

タイトル:街とその不確かな壁
著者:村上春樹
出版社: 新潮社
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その街に行かなくてはならない。なにがあろうと――〈古い夢〉が奥まった書庫でひもとかれ、呼び覚まされるように、封印された“物語”が深く静かに動きだす。魂を揺さぶる純度100パーセントの村上ワールド。
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村上春樹さんの作品です。あとがきに書かれていますが、この作品は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のもう一つの対応にあたるそうです。

十七歳の僕は、十六歳の君と出会った。しかし君は「自分は影であって本当の自分は壁に囲われた街にいる」と言ったー。

村上春樹さんのこれまでの作品と同様に、読み進めるうちにいろいろなことを考える作品です。全てが抽象的なようであり、何かを暗示しているようでも示唆しているようでもあります。読み終えても全てを理解し、解決されたわけではないのですが、心の中には少しの寂しさと、爽やかさが残ります。物語を読んで何をどのように感じるのか、それは完全に読み手に任されており、おそらく読み手の誰もが異なった感想を抱くのではないかと思います。読者の想像力に大部分を任されていて、著者が自分の考えを押し付けてくるタイプの作品ではありません。ー本来の読書というものは、こういうものなのかもしれないな、と考えさせられたりもします。

物語は三部に分かれており、世界は「現実世界」と「壁に囲われた街」の二つに分かれています。影を捨てなければ入れないその街と、街に住む本当の「君」を探す僕。寂しさの漂う街は美しくもあり、誰かの-おそらく筆者の-心象風景のようにも感じられます。

現実と壁に囲われた街、実体と影、現実と夢、生と死、この物語には対をなすものが多く描かれています。そしてそれらを隔てる「壁」。しかしこの物語は言います。「その壁は不確かだ」と。それら二つを隔てる境界は実は曖昧で移ろい易いものだと著者は言います。この感覚はある程度の年をとった私には凄くしっくりとくるのですが、一方で実感するには年月が必要なのかもしれない、と感じたりもします。若く、自身の感覚と、記憶と、能力に自信のあるうちには理解できないものなのかもしれません。人はいろいろな意味で曖昧でいい加減なものであることを知るとこのあたりは理解し易いと感じます。

私が読みながら強く感じたのは若さへの憧憬です。この物語の主人公のように、若い時の思い出を引きずりながら年を経ている人は、実は多いのではないでしょうか。人は二十歳で人生の半分程度を過ぎたように感じるらしいですが、それほどまでに若い頃の経験は鮮烈で、その時の体験を思い出すことは多いようです。

記憶と現実。過去の記憶に別れを告げ、現実に戻る決意をする主人公を影はきっとしっかりと受け止めてくれるのでしょう。止まった時、二人だけの世界、そういった若い頃の憧憬と、そこに別れを告げて現実を歩もうとする主人公の決意が、読み終えてからもじわじわと来る作品でした。

「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」も昔読みましたが、これを機にまた読み直してみようかと思います。三十代と七十代で描く作品がどう変わっているのか、それもまた気になるところです。「真実とは移動する相の中にあり、それが物語の真髄だ」というあとがきで著者の語る意味も実感できるかもしれません。楽しみです。

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