映画日記92:ジョーカー


タイトル:ジョーカー
出演:アーサー・フレック/ジョーカー / ホアキン・フェニックス
マレー・フランクリン / ロバート・デ・ニーロ

あらすじ----------------------------------------------
売れないコメディアンのアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)が暴漢に遭遇したのは、ゴッサム・シティの通りをピエロ姿でさまよっていたときだった。
社会から見捨てられたアーサーは徐々に狂気への坂を転落していき、やがてジョーカーという名の悪のカリスマへと変貌を遂げる。

感想--------------------------------------------------
見てみたいと思っていた映画です。

「バットマン」シリーズ屈指の悪役、ジョーカー。そのジョーカーはどのようにして生まれたのか−?心優しかった男はなぜジョーカーになったのかー?

「バットマン・ビギンズ」、「ダークナイト」、「ダークナイト・ライジング」と続くバットマンシリーズもそうですが、本作を観て感じることは、バットマンという一つのアニメーションシリーズをここまで人のドラマとして昇華させるその力です。原作がアニメーションだということはほとんど関係なく、一人の人間の苦しみと痛みがひしひしと伝わってくる映画です。日本でもこうした映画、ないかなあ、って思ってしまいますが、なかなかないなあ、って感じます。

主役のアーサー(ジョーカー)役であるホアキン・フェニックスの演技、それに尽きると思います。精神疾患から突如と笑い出してしまうアーサー。誰もが気味悪がるその笑いの演技が素晴らしい。笑っているようでいて、泣いているようでもあり、笑っているのに悲壮感が漂ってくる。画面を通してもその悲壮感、切迫感が笑い声を通して伝わってきます。

精神的な疾患を抱えながらも母親を介護し、慎ましく暮らすアーサー。しかし周囲の人間や社会は、彼に対して辛くあたります。「普通にしていろ!」その社会の圧力に苛立ち、その苛立ちを爆発させるアーサー。そして自分の行動が社会に波紋を引き起こし、彼はいつしか「ジョーカー」となっていくー。この過程を見ていると、これは今を生きる誰にでも起こりえることなのではないか、と感じたりもします。誰もが「ジョーカー」と成り得るー。そう思ってダークナイトを見直すと、ジョーカーという存在は一人の人間なのではなく、貧困層の富裕層へ対する怒りそのものなのではないか、と感じたりもします。

日本でもこのような映画できないかな、と感じたりもします。でも一方で、アニメ原作だとどうしてもその原作をなぞる形になり、独自の解釈を加えての深堀って言うのは危険でできないのかな、とも感じます。「原作どおりであること」への圧力が日本ではかなり強い気がします・・・。個人的には「鬼滅の刃」のラスボス、鬼舞辻無残をこのジョーカーのように描けたら面白いと思ったりするんですけどね・・・。なぜ無残は鬼になったのか。原作でも一部語られていますが、物語をさらに深く掘って補完すると面白いんだろうな、と思ったりもしました。

総合評価(S・A・B・C・D・Eの6段階評価):S

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