読書日記732:ナナメの夕暮れ
タイトル:ナナメの夕暮れ
作者:若林 正恭
出版元:文藝春秋
その他:
あらすじ----------------------------------------------
おじさんになって、「生き辛さ」から解放された―「自分探し」はこれにて完結!
感想--------------------------------------------------
お笑い芸人、オードリーの若林さんのエッセイ集です。「ダ・ヴィンチ」での連載と書き下ろしをあわせた内容となっています。なんでこの本を読もうと思ったのか?もうこのタイトルです。このタイトルからして感覚が私好み、私とあうなあっていう感じでした。そしてその感覚通りの内容でした。
自分の内面をとてもよく見ている著者で、その感覚は読んでいて「そうだよなあ」って思える点が非常に多いです。私と年も近いですね。私の方が少しだけ年上ですが。生き辛さ、自分探しといった言葉で彩られた二十代から三十代を経て四十代へ。生きやすくなったという感覚は共通です。でも著者のように「若返った」までは思えないです。赤面したくなるような二十代を肯定的に捉え、やっと前に進めるようになったのが四十代なのかな、と感じます。
「ナナメの殺し方」というエッセイと、最後のあとがき。これが最も心に響きました。自尊心を持て余し、自己防衛のために全てをナナメに見て冷笑し、他人の目やふとした言動に傷つき、正解を求めて何年も前の誰も覚えていないような一瞬の出来事をふと思い出す。こんな二十代と三十代を経て来た人々にとっては自分探しや生きること自体が労力のいることであり、それはきっとそうでない人には決してわからないのだと思います。この本を読んでいて「言ってはいけない―残酷すぎる真実―」という本を思い出しました。身体能力が生まれながらにして人それぞれなように、頭脳も、そして心のありようも生まれながらに人それぞれなんだろうな、と思います。そして著者のように、厄介な「生きにくい」と思われるような心を抱えて生まれてしまうことも当然あります。
しかしそのような心持ちの人は、同じような心持ちの人を良く理解できる、というのが利点としてあるのだろうと最近では思うようになりました。「きっとあの人はこう言いたかったのだろう」「きっとこう考えていたのに言葉が出なかったのだろう」といった感じですね。心のとげが少しとれて丸くなった証拠なのかもしれません。言葉をそのまま捉えることよりも、その心の背景により深く思いを馳せ、理解しようとすることがこうした人々にはできるのではないでしょうか。
心のとげがとれ、丸くなったことは人付き合いの面ではいいのかもしれませんが、それは一種の「老い」なのかなと思ったりもします。目くじらたてず、こだわらず、流す。それが生きつく先は安寧であり変化の無い日常で、そこに安住するのは魅力的ですが、一方で「どうなの?」と思う自分もいたりします。引きずる過去は気がついたら何十年も前になり、将来はどことなく見えて来て、それなりの立場が得られた代わりにそれに縛られる。それが四十代なのかな、と思ったりもします。先ほどの「言ってはいけない―残酷すぎる真実―」には「自分を信じることは素晴らしいが、自分を許せることはもっと素晴らしい」という名言がありましたが、許す代わりに拘りを捨てていき身軽になっていくことが一方では老いであり、一方では若返りなのでしょうね。
若林さんのエッセイは私の心に沿います。そしてこれだけ自分の内面を見つめ、それを赤裸々に文章として公にできるというのは並大抵のことではないです。文章にして公になんて普通の人には出来ないですって(笑)凄い人だよ。この人。
先になりますが、南海キャンディーズの山里さんのエッセイも読む予定です。これも面白そうです。
総合評価(S・A・B・C・D・Eの6段階評価):S
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