読書日記728:世界の終わり、あるいは始まり


タイトル:世界の終わり、あるいは始まり
作者:歌野 晶午
出版元:角川書店
その他:

あらすじ----------------------------------------------
東京近郊で連続する誘拐殺人事件。誘拐された子供はみな、身代金の受け渡しの前に銃で殺害されており、その残虐な手口で世間を騒がせていた。そんな中、富樫修は小学六年生の息子・雄介の部屋から被害者の父親の名刺を発見してしまう。息子が誘拐事件に関わりを持っているのではないか?恐るべき疑惑はやがて確信へと変わり…。既存のミステリの枠を超越した、崩壊と再生を描く衝撃の問題作。

感想--------------------------------------------------
*ネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。

葉桜の季節に君を思うということ」の著者、歌野昌吾さんの作品です。全く事前知識無く、タイトルから恋愛もの?と思って読みましたが全然違いました・・・。

多発する残虐な小学生の誘拐殺人事件。偶然にも息子の部屋から事件に繋がる証拠を見つけた富樫修は、自分の息子が事件に関与しているのではないか、と疑い始めるー。

最初に書いてしまいますが、正直、読んでいて面白い作品ではありません。残虐な誘拐殺人事件の描写と、それに連なる様々な残酷な描写は、こうした本に慣れていないと厳しいです。

物語は一人の男の視点で描かれていきます。十二歳、小学六年生の息子が誘拐殺人事件に関与していると思われる証拠を見つけ、それまでの自分の世界が終わってしまった男。物語はその男の想像をもとにいくつにも枝分かれしていきます。

ある日息子が警察に逮捕(補導)され、それを機に家族がずたずたになるストーリー、家族を守るために自分が息子を抹殺するストーリー、息子が犯人ではなく、他の人間をかばっていたストーリー・・・。主人公の描くストーリーはどれもが破滅に向かって突き進んでいき、正直、全く救いがありません。そして最後、唐突に提示される「今」。

最後の笠井潔さんの解説はそれなりに納得感はありますが、正直、物語として読んでいて辛いです。というか、ここまでいろいろな物証が発見されているのに、息子が事件と無関係、なんていう都合のいいストーリーはありえるのだろうか?って考えたりします。

何度も書きますが、読んでいて辛いです。一つ言えるのは本書で主人公が考えるような、「なぜ自分が」という不幸は誰しも見舞われる可能性がある、ということです。そのような不幸をどうやりすごすのか、あるいは耐えるのか、回避するのか。そうした辺りを妄想ではなくしっかりと描いていた方が、もっともっと読み応えはあったと思います。正直、残念な感じでした。

総合評価(S・A・B・C・D・Eの6段階評価):C

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