読書日記715:ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来


タイトル:ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来
作者:ユヴァル・ノア・ハラリ
出版元:河出書房新社
その他:

あらすじ----------------------------------------------
生物はただのアルゴリズムであり、コンピュータがあなたのすべてを把握する。生体工学と情報工学の発達によって、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊していく。人類はどこへ向かうのか?

感想--------------------------------------------------
上巻に引き続き、下巻も読んでみました。話はどんどんと抽象的になっていきますが、面白いです。

神が信じられていた長い時代を経て「人間至上主義」の時代へと移ってきた人間の歴史。その先に来ると予測される「データ至上主義」の時代はどのようなものになるのか?

神の名の下に個人や人格などは犠牲にされて来た古代〜中世時代、そして個人の経験や感情が重視される近現代。その先に来る時代として、データ至上主義の時代を著者は予見します。感情や経験といったものはしかし全て脳の発する電気信号であり、科学的に司ることのできるものである。薬や電極で人の脳は簡単に騙すことができるとすると、個人の感情というものは単なるアルゴリズムに過ぎず、そうすると真に重要なものは情報そのものではないのかー。そうした考えが書かれていきます。

感情や経験を外部から科学的にいじるということに、人間はまだまだ嫌悪感を抱きます。しかしトラウマになるような心的外傷をこのような方法で緩和できるのであれば、それは決して悪いことではないと感じます。あらゆるものがデータ化され、InとOutとプロセスで語られる世界は合理的で人間味にかけるように思われますが、しかしFacebookやGoogleは自社の仕組みを通じて個々人の好みをその人自身よりも理解するようになります。

「人は何のために生きるのか?」
おそらく行き着く最終的な問いはここになるのだろうな、と感じます。全てがデータ化され、脳に端子からInputできるようになる時代、人のあらゆる感情がデータとして理解され、好きなように操ることの出来る時代で人のなす役割はなんなのだろうか?これはおそらく近い将来、人が真剣に向き合うべき問いなんだろうな、と読んでいて感じました。

人の抱くあらゆる欲求や願望がデータ化され、電気的に処理される時代。それはユートピアなのか?ディストピアなのか?ハリウッド映画では間違いなく後者ですが、しかし結論は早急に出さない方が良さそうです。神が信じられていた時代には、神よりも人を重んずる価値観なんて決して許されるものではなかったのですから、将来、人の感情よりも情報を重んずる価値観が当たり前にならないとは決して言い切れませんね。

本書を読んでいるとどうしても映画「マトリックス」の世界を思い出します。頭に電極を取り付けられた人々が暮らす電脳空間「マトリックス」。しかしそこでの生活が幸せで充実したものであれば、現実ではなく電脳空間で生きる選択肢もあるかもしれません。データに身を任せ、自分のことを自分よりも知り尽くしたアルゴリズムに人生を委ねるー。そんな生活が既に始まっていますが、今後はもっと進むのかもしれませんね。ただデータ至上主義が世を席巻するには、「データ」への印象がもっとよくならなければならないですね。この人の本は毎回本当に面白い。次も楽しみです。

総合評価(S・A・B・C・D・Eの6段階評価):S

この記事へのコメント