タイトル:ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉
作者:塩野七生
出版元:新潮社
その他:
あらすじ----------------------------------------------
紀元305年、ディオクレティアヌスが帝位から退き、新たに指名された四人の皇帝による第二次四頭政がはじまる。しかし、その後六人もの皇帝が乱立。その争いは内乱の様相を呈する。激しい政治闘争と三度の内戦ののちに勝ち残ったのは、東の正帝リキニウスと、のちに大帝と呼ばれることになる西のコンスタンティヌス。二人は共同で「ミラノ勅令」を発布し、一神教であるキリスト教を公認した。こうしてローマの良き伝統は跡形もなく崩れ去った。
感想--------------------------------------------------
ローマ人の物語の三十六巻です。四頭政を敷き、外敵の侵攻からローマを守る事に成功した皇帝ディオクレティアヌスが帝位を退いたところから本巻は始まります。本巻は内乱の時代を描いており、久しぶりに戦闘の描写の多い巻となっています。
一時期は六人もの皇帝が乱立する状況だったローマ帝国ですが、最後に勝ち残ったのは「大帝」と呼ばれるコンスタンティヌス。そして彼は有名なミラノ勅令を発し、キリスト教を公認します。外敵の脅威は少なくなったものの内乱の時代は続いていきます。同じ国の人間同士が殺し合う戦争は、その国の人間にとってはたまらないでしょうね。。。
セヴェルス、マクセンティウス、マクシミヌス・ダイア、マクシミアヌス、と一時は皇帝まで上り詰めた者たちは、皆、自死や戦死、謀殺などにより退場していきます。五賢帝時代とは異なった荒廃の時代ですね。掲載されている「パッチワークの凱旋門」と呼ばれるコンスタンティヌス帝が凱旋した際に贈られた、様々な時代の建築物をつなぎ合わせた凱旋門では、時代の新しい部分よりも古い部分の方がよいできです。人の世は、時代が進むにつれて必ずしも良くなるわけではなく、むしろ繁栄していた時代の方が、その先の時代よりも様々な面でよくなることを示しているように感じられます。
五賢帝時代と呼ばれる平和と繁栄の時期を過ぎ、衰退の時期、人間で言うと老齢の時期に入ったローマ帝国。本書を読んでいると、人と同じように国にも一生があり、その一生の最後では国はどろどろの状態に陥っていくように感じられますね。
話が飛躍しますが、翻って昨今の世界情勢を見ると、どの国も永遠に続くことを、経済も政治も成長することを前提としているように感じられます。
「今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち会っている。だが、この今、わたしの胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかはわがローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀感なのだ」
紀元前にカルタゴを滅ぼした際にローマの将軍、スキピオ・エミリアヌスが残した言葉ですが、まさにこの瞬間が近付いています。永遠に続く者はない、という理に従うとすると、人も、国も、人類という種も、さらには地球や宇宙でさえもいつかは滅びの瞬間を迎えます。「いかに滅びの瞬間を先送りにするか」を考える事も必要ですが、「いかに悲劇を抑えて滅びを迎え、次の世代に渡していくか」を考えることも重要だな、と本巻を読むと感じたりもします。歴史から何かを自分の事として学ぶ事はなかなか難しいですが、少なくとも価値は十分にありそうです。
しかし、本巻を読んでいて哀れだったのは帝位を譲り隠居したディオクレティアヌスです。一時は帝国で最高の権力を握りながら、隠居したがために家族を殺され、誰も言う事を聞かなくなり。。。と散々な状況で、権力は握り続けないと駄目なんだな、って感じたりもして、権力に固執する人がいる理由も納得できたりしました。
総合評価(S・A・B・C・D・Eの6段階評価):
レビュープラス
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